美谷島邦子氏:日航ジャンボ機事故はまだ終わらない

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第486回マル激トーク・オン・ディマンド(2010年08月07日)
日航ジャンボ機事故はまだ終わらない
ゲスト:美谷島邦子氏(8・12連絡会事務局長)
25年前の1985年8月12日、羽田空港を飛び立った満席の大阪伊丹空港行き日本航空123便ボーイング747は、離陸から12分後に後部左側ドアの異常を知らせる警告灯が点灯。直ちに操縦不能な状態に陥ると、そのまま32分間迷走を繰り返した後、群馬県上野村の高天原山の尾根に激突して炎上した(この場所は後に御巣鷹の尾根と命名された)。この事故で乗客乗員524名のうち、520名が死亡した。単独飛行機事故としてはいまだに史上最悪の惨事だった。
 その520名の中に、日航機事故の被災者家族の会「8・12連絡会」を事務局長として25年間引っ張ってきた美谷島邦子氏の二男で小学校3年生の美谷島健君(当時9才)もいた。健君は、夏休みの水泳教室で25メートルを泳げたことのご褒美として、仲良しの従兄弟たちが住む大阪に向け、生まれて初めての一人旅に旅立ったばかりだった。…
 事故調の調査結果では、圧力隔壁の破損によって後部垂直尾翼の上半分と油圧系統が破損し、操縦が不能になり墜落に至ったと結論づけられている。あくまで修理ミスに第一義的な原因があったという立場だ。しかし、その後ボーイング社は同型機の油圧系統に安全弁をつけるなどの改善を行っている。4つある油圧系統が圧力隔壁の直下で1本化されていることが、機が全くの操縦不能に陥ったことの直接の原因だったとすれば、少なくとも当時のボーイング747には構造上の欠陥があったということになる。多くの遺族たちが事故調の調査結果に納得できず事故原因の再調査を望んでいるのも、そのような疑問点がまだ残ったままになっているからだ。…
8・12連絡会を立ち上げ、25年間その世話役を務めてきた美谷島邦子氏は、航空機を含む乗り物事故の原因究明のあり方については、いまだに25年前の課題が改善されていないことを残念がる。その後の25年間に数々の乗り物事故が発生しているが、そのたびに本当の意味で被害者や遺族が納得できる原因究明が必ずしも行われていない理由は、25年前に日航機事故の原因究明を阻んだものと同じ理由なのだ。
 しかし、その一方で、美谷島氏は自分たちが25年間地道に行ってきた活動が、いろいろいなところで実を結んでいると感じているとも言う。例えば、この事故の刑事告訴はアメリカから捜査協力を得られないことを主な理由に不起訴処分となったが、その後検察審査会が不起訴不当の議決を行ったため、前橋地方検察局は再度捜査を行った上で、あらためて不起訴処分としている。当時の検察審査会には強制的に起訴をする権限はなかったために、結局この事故は刑事事件とはならず、美谷島氏ら遺族らが強く求めてきた相模湾に落下した垂直尾翼上部の引き上げなどは行われなかった。しかし、今年から法が改正され、検察審査会の議決のみで強制起訴が可能になった。今、日航機事故が検察審査会にかけられていたら、結果は違っていたかもしれない。
 「誰かを刑務所に入れたいと思ったことはない」と美谷島氏は言うが、と同時に、「真の事故原因の究明と再発の防止こそが遺族の共通した願い」であるとも言う。日本が事故調査制度のあり方を根本的に改革しない限り、本当の事故原因を突き止めるために日本では刑事裁判に訴えることが唯一の方法であるとの遺族の思いは強い。
 不幸にも事故が起きてしまった以上、もう元には戻らない。しかし、残されたわれわれにできることは、持てる力の全てを使って事故の原因を突き止め、同じような原因で同じような悲しい思いをしなければならない人を一人でも作らないようにすることのはずだ。しかし、美谷島氏が指摘するように、25年前の事故がわれわれに残した課題を、いまだにわれわれは解決できていない。
 日航機事故から25年目となる8月12日を迎えるにあたり、この事故が残した多くの課題に取り組んできた美谷島氏とともに、この事故を風化させないためにわれわれにできることが何かを考えた。

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