コロナ禍での慰霊登山 亡き娘2人への思い

https://youtube.com/watch?v=hIyAhziqtgc

乗客乗員520人が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故から2020年で35年。

新型コロナウイルスの影響で慰霊行事が縮小される中、2020年も慰霊登山に臨む遺族の思いを取材した。

1985年8月12日午後6時56分、日本航空123便が群馬県の御巣鷹の尾根に墜落。

生存者は、わずか4人。

乗客・乗員520人が亡くなった。

山岡武志さん(83)、清子さん(74)夫妻。
当時16歳の長女・知美さん、そして14歳の次女・薫さんの2人を亡くした。

事故当日の朝に撮影された映像。

2人が映るこの映像を公開する決心がついたのは、2019年のことだった。

羽田空港に向かうため、車に荷物を載せる様子や、笑顔で話す様子が映し出されている。

これが2人の最後の映像となった。

山岡清子さん「元気でおったら連れて帰りたい。名前呼んで連れて帰りたい。それだけですよ」

しかし、2020年は新型コロナウイルスの影響で慰霊行事が大幅に縮小。

これまで、毎年欠かさず御巣鷹を訪れていた武志さんだが、感染リスクを考慮して、35年間で初めて現地に行くことを断念した。

山岡武志さん「35年もたってる。知らず知らずのうちに。早いもんだわ。行きたいけど、やっぱり一番体が大事や」

山岡清子さん「ことしはもう連れて行かれません。どこにコロナがいるかわかんないんで。(現場にはご主人と一緒に行きたい?)そりゃ行きたいですよ。わたしらを待ってますからね、向こうの子どもは」

清子さんも体調が万全ではなく、不安は拭えない。

山岡清子さん「(登るのが最後かもしれないという思いは?)しています。だからもう(医師に)言われて、あんまり無理しないでくださいと」

それでも、「足が何ともない限りは毎年行きたい」と話す清子さん。

姉妹がおそろいで使っていた思い出のバッグを手に、夫の思いとともに35年目の慰霊登山に向かう。

山岡清子さん「やっぱりあそこに行ったら一番間近に感じられるからね。どうしても行かなきゃいけないという気があったので、頑張って行ってきます」

山岡さんご一家は、娘2人を失った悲しみが癒えることはなく、何年たとうがその気持ちは変わらないと話していた。

登山を断念した武志さんは、テレビを通して12日の追悼式典を見守るという。

(2020/08/10)
#日航 #御巣鷹山 #ジャンボ機
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美谷島邦子氏:日航ジャンボ機事故はまだ終わらない

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第486回マル激トーク・オン・ディマンド(2010年08月07日)
日航ジャンボ機事故はまだ終わらない
ゲスト:美谷島邦子氏(8・12連絡会事務局長)
25年前の1985年8月12日、羽田空港を飛び立った満席の大阪伊丹空港行き日本航空123便ボーイング747は、離陸から12分後に後部左側ドアの異常を知らせる警告灯が点灯。直ちに操縦不能な状態に陥ると、そのまま32分間迷走を繰り返した後、群馬県上野村の高天原山の尾根に激突して炎上した(この場所は後に御巣鷹の尾根と命名された)。この事故で乗客乗員524名のうち、520名が死亡した。単独飛行機事故としてはいまだに史上最悪の惨事だった。
 その520名の中に、日航機事故の被災者家族の会「8・12連絡会」を事務局長として25年間引っ張ってきた美谷島邦子氏の二男で小学校3年生の美谷島健君(当時9才)もいた。健君は、夏休みの水泳教室で25メートルを泳げたことのご褒美として、仲良しの従兄弟たちが住む大阪に向け、生まれて初めての一人旅に旅立ったばかりだった。…
 事故調の調査結果では、圧力隔壁の破損によって後部垂直尾翼の上半分と油圧系統が破損し、操縦が不能になり墜落に至ったと結論づけられている。あくまで修理ミスに第一義的な原因があったという立場だ。しかし、その後ボーイング社は同型機の油圧系統に安全弁をつけるなどの改善を行っている。4つある油圧系統が圧力隔壁の直下で1本化されていることが、機が全くの操縦不能に陥ったことの直接の原因だったとすれば、少なくとも当時のボーイング747には構造上の欠陥があったということになる。多くの遺族たちが事故調の調査結果に納得できず事故原因の再調査を望んでいるのも、そのような疑問点がまだ残ったままになっているからだ。…
8・12連絡会を立ち上げ、25年間その世話役を務めてきた美谷島邦子氏は、航空機を含む乗り物事故の原因究明のあり方については、いまだに25年前の課題が改善されていないことを残念がる。その後の25年間に数々の乗り物事故が発生しているが、そのたびに本当の意味で被害者や遺族が納得できる原因究明が必ずしも行われていない理由は、25年前に日航機事故の原因究明を阻んだものと同じ理由なのだ。
 しかし、その一方で、美谷島氏は自分たちが25年間地道に行ってきた活動が、いろいろいなところで実を結んでいると感じているとも言う。例えば、この事故の刑事告訴はアメリカから捜査協力を得られないことを主な理由に不起訴処分となったが、その後検察審査会が不起訴不当の議決を行ったため、前橋地方検察局は再度捜査を行った上で、あらためて不起訴処分としている。当時の検察審査会には強制的に起訴をする権限はなかったために、結局この事故は刑事事件とはならず、美谷島氏ら遺族らが強く求めてきた相模湾に落下した垂直尾翼上部の引き上げなどは行われなかった。しかし、今年から法が改正され、検察審査会の議決のみで強制起訴が可能になった。今、日航機事故が検察審査会にかけられていたら、結果は違っていたかもしれない。
 「誰かを刑務所に入れたいと思ったことはない」と美谷島氏は言うが、と同時に、「真の事故原因の究明と再発の防止こそが遺族の共通した願い」であるとも言う。日本が事故調査制度のあり方を根本的に改革しない限り、本当の事故原因を突き止めるために日本では刑事裁判に訴えることが唯一の方法であるとの遺族の思いは強い。
 不幸にも事故が起きてしまった以上、もう元には戻らない。しかし、残されたわれわれにできることは、持てる力の全てを使って事故の原因を突き止め、同じような原因で同じような悲しい思いをしなければならない人を一人でも作らないようにすることのはずだ。しかし、美谷島氏が指摘するように、25年前の事故がわれわれに残した課題を、いまだにわれわれは解決できていない。
 日航機事故から25年目となる8月12日を迎えるにあたり、この事故が残した多くの課題に取り組んできた美谷島氏とともに、この事故を風化させないためにわれわれにできることが何かを考えた。

日航123便、御巣鷹山墜落事故の真相に迫る(ラジオフォーラム#47)

520名という単独事故としては史上最悪の犠牲者を出した1985年の日航123便墜落事故。謎の多いこの事故を追うフリージャーナリストの米田憲司さんに、その真相を伺います。 http://www.rafjp.org 小出裕章ジャーナルは燃料棒破損の問題について→ http://ow.ly/rjmfe

00:29 オープニング
04:25 日航機墜落事故の真相1
14:02 小出裕章ジャーナル/燃料棒破損の問題について
24:02 日航機墜落事故の真相2
38:29 日航の社内体質と不当解雇の実態
47:07 エンディング

■ラジオフォーラム #47
ゲスト:米田憲司さん(フリージャーナリスト)
パーソナリティ:西谷文和(ジャーナリスト)

■番組へのメッセージはこちら
http://www.rafjp.org/faq/

123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年(15/08/12)

乗客乗員520人が犠牲となった日本航空機の墜落事故から12日で30年です。墜落した123便は羽田空港を離陸した後、相模湾の上空で圧力隔壁が壊れました。垂直尾翼など吹き飛んだ機体の多くは海に沈み、今も見つかっていません。
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[テレ朝news] http://www.tv-asahi.co.jp/ann/