木村太郎 (政治家)

木村太郎 (政治家), by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=106590 / CC BY SA 3.0

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木村 太郎(きむら たろう、1965年7月20日 – 2017年7月25日)は、日本の政治家。
衆議院議員(7期)、ふるさと担当内閣総理大臣補佐官(第2次安倍内閣・第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、防衛庁副長官(第3次小泉改造内閣)、農林水産大臣政務官(第1次小泉再改造内閣・第2次小泉内閣)、防衛庁長官政務官(第1次小泉内閣)、自由民主党広報本部長、衆議院安全保障委員長、衆議院地方創生に関する特別委員長、青森県議会議員(2期)等を務めた。
青森県知事や衆議院議員を務めた木村守男は父。
元衆議院議員の木村文男は祖父。
衆議院議員の木村次郎は弟。
青森県南津軽郡藤崎町生まれ。
青森県立弘前南高等学校を経て、東洋大学法学部法律学科卒業。
大学在学中田中角栄の書生となる。
大学卒業後は、三塚博衆議院議員の秘書を経て、1991年に青森県議会議員選挙に立候補し、初当選。
1995年に再選。
1996年、青森県議を辞職し、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で青森4区から立候補。
自由民主党公認の津島恭一を破り、初当選した。
1997年の新進党解党に伴い、改革クラブ(小沢辰男代表)結党に参加したが、同党の解党を待たずして自民党に入党。
2000年の第42回衆議院議員総選挙には自民党公認で立候補。
この選挙では対立候補が社会民主党、日本共産党公認の候補のみだった。
2002年、第1次小泉内閣で防衛庁長官政務官に任命される。
翌2003年、第1次小泉再改造内閣で農林水産大臣政務官に任命され、同年の第43回衆議院議員総選挙では民主党の渋谷修らを破り、3選。
農林水産大臣政務官にも再任。
2004年自由民主党政務調査会内閣部会専任部会長(防災・警察)に就任。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では民主党公認の渋谷、国民新党公認の津島恭一らを破り、4選。
同年、第3次小泉改造内閣で防衛庁副長官に任命される。
翌2006年、衆議院安全保障委員長に就任。
2008年、自民党副幹事長に就任。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、民主党公認で立候補した津島を破り、5選(津島も比例復活)。
2010年に自民党青森県連会長、2011年に自民党筆頭副幹事長に就任。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では、津島に比例復活も許さず6選。
選挙後に発足した第2次安倍内閣で内閣総理大臣補佐官(ふるさと担当)に就任。
2014年の第47回衆議院議員総選挙では、7選。
2016年9月、衆議院地方創生に関する特別委員長に就任。
2017年7月25日早朝、東京都江東区のがん研究会有明病院で膵臓がんにより死去。
52歳没。
同日付で従三位叙位とともに旭日大綬章受章(没後追贈)。
死去に伴い、弟である次郎が同年10月に行われる予定の補欠選挙に青森4区から自民党公認で出馬する予定だったが、衆議院解散により、これに伴う区割り変更で同区が廃止されたため青森3区の公認に変更された。
選挙は、弟の次郎が、希望の党や日本共産党などの候補者を破って当選した。
2017年11月21日の衆議院本会議において逝去と弔旨の報告がなされ、岩屋毅によって追悼演説が行われた。
日本共産党の機関紙しんぶん赤旗に、以下のように報じられている。

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