浪曲 鯵の便り  東家浦太郎

https://youtube.com/watch?v=czW6pNNjpi8

野口甫堂作
東家浦太郎
曲師 木村八重子
尺八 石高琴風
琴 都筑妙子

東家浦太郎の芸術

 駒込の生まれて子供の頃から浪花節が好き、小学生の頃太い地声で、レコードの物真似を器用にこなす、大人顔負けの少年だった。
 十三才のとき東家楽浦の弟子となり、浦太郎と芸名を貰って、豆浪曲家が出現したのだ。
 肩上げの紋付で、テーブル台から首だけ出して唸る、節廻しが上手で大人の様な地声だから、客は拍手を忘れず何処へ行っても大受けに受けたものだった。
 師の楽浦は豊富な題材を持った名人芸で、その薫陶を受け、円転自在の芸風を学び、たちまち少年浪曲の横綱とまで言われるようになった。廿才時代の声変りもなんなく乗り越へて、劇場打ちに進出し関東節としての王座を占め、今日に至ったのである。
 現在が、もっとも円熟した時期であり、関東浪曲の妙味に溢れ、今が一番油の乗り切っている年である。さぞファンの方の耳へ、心好い響きをのせて楽しませてくれるでしょう。
  また、鯵の便りは、野口甫堂江戸暦十八集の内の名人編で、元禄年間の画家、多賀朝湖(後の英一蝶)が、将軍綱吉の怒りに触れ、三宅島へ流罪と決ったとき、深川蠣浜の舟着き場へ見送りに来た友人、宝井其角、佐々木文山、横谷宗珉の三人、別れをおしんで泪に暮れ、島の囚人は干物造りが仕事である、文の便りもまゝならぬ離れ小島、鯵の干物の頭へ笹の葉を刺しておくから、それを見たら朝湖は無事で居ると思ってくれ、約束をして島へ送られてった、三人は朝湖の便りを知りたく、日本橋の干物問屋へ御百度を踏んで、鯵の便りを捜し廻る人情美談。

鯵の便り
 罪を得て三宅へ流罪になる画家多賀朝湖を、見送りに来た宝井其角其の他の巨匠連が、文の便りの代りに、鯵の干物に笹の葉を刺して置くそれを見たら無事と思えと、約束する、巨匠連は日本橋の干物問屋で、鯵の便りを捜し廻る、浦太郎の人情編。

1966年7月

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