ウォルター・ロスチャイルド (第2代ロスチャイルド男爵)

ウォルター・ロスチャイルド (第2代ロスチャイルド男爵), by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=643864 / CC BY SA 3.0

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シマウマの馬車に乗るウォルター。
ハイド・パークをこれで回って話題になった。
トリングパークで飼っていたガラパゴスゾウガメに乗るウォルター。
このゾウガメは「ロトゥマ」と名付けられ、年齢は150歳以上だったという。
第2代ロスチャイルド男爵ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド(英語: Lionel Walter Rothschild, 2nd Baron Rothschild, FRS、1868年2月8日 – 1937年8月27日)は、イギリスの動物学者、政治家、貴族。
英国ロスチャイルド家の嫡流であるが、銀行業には関心を持たず、動物学研究に傾倒した。
初代ロスチャイルド男爵ナサニエル・ロスチャイルドとその夫人エンマ・ルイーザ・フォン・ロートシルトの間の長男としてロンドンに生まれる。
弟にチャールズ・ロスチャイルドがいる。
子供の頃から動物好きだった。
子供の頃には蛾や蝶の蒐集をしていた。
ケンブリッジ大学モードリン・カレッジで動物学を学ぶ。
その卒業論文は高い学術的レベルにあり、教授たちから大学に留まって学者になることを薦められたが、1889年には大学の研究室を去って曾祖父ネイサン・メイアー・ロスチャイルドによって設立された投資銀行N・M・ロスチャイルド&サンズで働くようになった。
しかしさして重要な役職には就かず、動物学研究を続ける時間的余裕をわざと作った。
また銀行業の仕事に際しても大英帝国各地に散らばる支店を活用して動物に関する情報を収集したようである。
1892年にはロスチャイルド家所有の土地トリング・パークに動物園と動物学博物館を設立した。
博物館には多くの動物の剥製や昆虫の標本が集められた。
また動物園には世界各地から動物を購入して集め、研究員たちとともにその生態を研究し、動物学の本を次々と刊行した。
彼によって新発見された動物も少なくなく、それらの動物にはロスチャイルド・キリンなどロスチャイルドの名(ジラファ・カメロパルダリス・ロスチルディ Giraffa camelopardaris rothschildi)が冠された。 1899年にバッキンガムシャー・アリスバーリー選挙区から自由統一党候補として出馬して庶民院議員に当選する。以降、議会に行くという名目で銀行業の執務を抜け出してロンドン自然史博物館に通うようになった。 父から受けている手当は巨額だったが、それをもってしても数万匹の動物は養いきれなかった。彼は絶えず借金し、ついには父ナサニエルに無断で父に保険金をかけたことで父の逆鱗に触れた。父は銀行業務そっちのけで動物学研究に傾倒する長男ウォルターに三行半をつけるか迷っていたが、ここにきてついにウォルターを経営から追放して次男チャールズに経営を委ねることを決意した。こうしてウォルターは、煩雑な経営から免れて、残りの全生涯を動物学に捧げることができるようになった。銀行の経営を見るようになった弟チャールズも動物学研究に関心を持っており、兄の研究に協力した。チャールズは特にノミの研究で知られる。 第一次世界大戦中の1915年に父が死去し、第2代ロスチャイルド男爵を継承し、貴族院議員となる。さすがに父が死んだとなれば長男であるウォルターが銀行業を継承すべきという意見もあったが、相変わらず彼には銀行業をやる意思がなく、銀行業は弟チャールズが継ぐことになった。しかしチャールズは二年ほどで身体を壊したため、最終的には叔父レオポルドの息子であるライオネルとアンソニーの兄弟に受け継がれることになった。この兄弟は銀行業の才能があり、経営は再び軌道に乗ったという。 1917年にオスマン帝国領パレスチナにイギリス軍が進攻したが、その際に英外相アーサー・バルフォアに働きかけ、彼からバルフォア宣言を出させるのに貢献した。ウォルターはテオドール・ヘルツルの思想に影響を受けていたので、シオニズムに好意を持っていたが、英国ロスチャイルド家は英国ユダヤ人に反シオニズム組織を創設させるなど完全に反シオニズムの立場だったから、ウォルターは英国ロスチャイルド家の中で異端の人物だったといえる。もっともウォルター自身もシオニズムにさほど熱心だったわけではなく、これを積極…

チャールズ・ロスチャイルド

チャールズ・ロスチャイルド, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2838129 / CC BY SA 3.0

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ナサニエル・チャールズ・ロスチャイルド閣下(英: The Hon. Nathaniel Charles Rothschild、1877年5月9日 – 1923年10月23日)は、イギリスの銀行家、動物学者。
英国ロスチャイルド家の嫡流である初代ロスチャイルド男爵ナサニエル・マイアー・ロスチャイルドとその夫人エンマ・ルイーザ・フォン・ロートシルトの次男として生まれる。
第2代ロスチャイルド男爵ライオネル・ウォルター・ロスチャイルドは兄にあたる。
ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジを卒業し、マスター・オブ・アーツの学位を取得。
兄同様動物学研究に造詣が深く、とりわけノミの研究で知られる。
彼の研究成果は娘のミリアムに引き継がれ、全7巻のノミ図鑑としてまとめられた。
しかしチャールズは兄よりも家業である銀行業への責任感が強く、1日の大半はN・M・ロスチャイルド&サンズの銀行業に費やしつつ、週末や休暇を使って動物学研究に尽くしていた 珍しい動物や昆虫、草花の収集のために世界各地を旅行し、その一環で1903年には日本を訪れた。
彼は日本を非常に気に入り、友人への手紙の中で「日本は天国だよ。親がとやかく言わなければここで暮らしたい」と書いている(当時彼は未婚だった)。
また明治後期の日本の急速な経済発展にも注目し、帰国後、日本にN・M・ロスチャイルド&サンズの支店を置くべきと父ナサニエルに進言したが、却下されている。
結局N・M・ロスチャイルド&サンズが日本に支店を置くのはそれから85年後の1988年12月を待つことになる。
1905年にはノーサンプトンシャー州長官に就任する。
1915年に父が死去した際には銀行業をやる気がない兄に代わって銀行を継承したものの、2年ほどで身体を壊し、退任した。
銀行は叔父レオポルドの息子であるライオネルとアンソニーの兄弟に受け継がれることになった。
この兄弟は銀行業の才能があり、経営は再び軌道に乗ったという。
スペイン風邪をこじらせて精神病になり、1923年に自殺した。
兄である第2代ロスチャイルド男爵ウォルターには男子がなかったため、彼の長男であるナサニエル・マイアー・ヴィクターが第3代ロスチャイルド男爵位を継承している。
1907年にユダヤ人ハンガリー貴族の令嬢ロズシカ・フォン・ヴェルトハイムシュタインと結婚し 彼女との間に以下の四子を儲けた。